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仙台七夕まつりの起源は何?いつから祭りは始まった?

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「七夕」は笹飾りや短冊を見かけるとついに夏が来た!と感じるイベントではないでしょうか。

七夕まつりの中でも日本で有名なお祭りといえば
今回ご紹介する「仙台七夕まつり」です

開催は毎年8月6日から8日の3日間。

そんな仙台七夕まつりの起源は何でしょうか。またいつから祭りが始まったのか気になりますよね!

期間中に飾られる約3000本の七夕飾りは圧巻です!!

そんな「仙台七夕まつり」について調べるととても奥が深く、面白い!

今回はみなさんに「仙台七夕まつり」の起源や
いつから祭りが始まったのか、その歴史をご紹介します!

仙台七夕まつりの起源は?

「仙台七夕まつり」は仙台藩祖・伊達政宗公(1567~1636年)が
当時の七夕に関する行事を仙台に広めたことにより年中行事になったと言われています!

もう少し七夕について解説していきます!

七夕伝説について

仙台七夕まつり誕生はその名の通り「七夕」が基になっています。

七夕は中国から伝わった「七夕伝説」と「乞巧奠(きっこうでん)
そして日本の古来の年中行事でもある「棚機」などが合体して
今の形になったと言われています。

まず「七夕伝説」と聞くと思い浮かぶのは

織姫と彦星ですよね

ですが意外と、どんな物語か詳しくは分からない。
という方も多いのではないでしょうか。

まずは「七夕伝説」のあらすじからご紹介します。

七夕伝説

もともとは仕事熱心な織姫と彦星の二人でしたが
互いに恋に落ち、結婚したことで
二人とも全く仕事をしなくなりました。

これに怒った神様が別々に暮らすように命じました。
ですが二人とも寂しさで毎日泣いてばかり。

見かねた神様が
「真面目に仕事をするなら年に1回会うことを許す」
と言いました。

その後、真面目に働くようになった二人は
年に1回、7月7日に天の川を渡って会うことができました。

以上が大まかなあらすじです。
少し切ないけれども、ロマンチックな物語ですよね。

物語はここまでですが
織姫と彦星には
再び一緒に暮らしてほしいなと思います。

七夕といえば「天の川」や「織姫と彦星」
このイメージは「七夕伝説」からきています。

「短冊」や「笹の葉」について

では「短冊」や「笹の葉」はどのように伝わってきたのでしょうか

それが「乞巧奠(きっこうでん)」と「棚機(たなばた)」という行事です。

中国で行われていた「乞巧奠」とは
七夕伝説で登場する織姫は、機織りの仕事をしていました。
その物語にあやかって
女性の機織りや手芸の技術向上を願うための年中行事でした。

また、日本で行われていた「棚機」とは
神様に豊作を祈り村の人々のけがれを清める行事として
村の女性が小屋で着物を織って棚に供えていたそうです。

どちらの行事にも共通する「織物」
機織りは相当な技術が必要だったようで
この時代は織物が神聖な存在だったかがわかりますね。

この二つの行事が合わさり、進化していったことで
現在の「七夕祭り」になりました

仙台七夕まつりの起源

当時の「七夕まつり」は織り糸を笹竹に飾り付けて楽しんでいて
それが絹の布に変化し、江戸時代ごろには一般庶民にも広まりました。

ですが、布は高価だったこともあり、紙を使用するように。

これが今の短冊の原形です。
また、短冊に願い事を書くようになったのもこの頃からだそうです。

この「七夕まつり」を
仙台藩祖・伊達政宗公(1567~1636年)が
仙台に広めたことにより
年中行事になったと言われています。

ちなみに七夕は、7月7日のイメージが強い方も多いはず。
ですが、仙台七夕まつりは8月ですよね。
なぜでしょうか。

それは
旧暦で行う地域と新暦で行う地域があるからなのです。

旧暦と新暦では1か月ほどの差があります
新暦の7月は梅雨の時期と重なるため
星空が眺められない可能性があります。

ですが、旧暦の7月は新暦の8月のため
晴れの日が多く、天の川も見える確率が上がります。

特に、七夕の日を揃えることを強制したことともなかったので
それぞれの地域に差ができたと言われています。

「七夕」について調べてみると
本当に奥が深い…
情報量の多さに途中で何について調べているのだと思うことも…

ですがそれだけ古くから親しまれてきた行事なのだと
改めて思いました。

いつから祭りは始まった?

奈良時代から始まったとされている七夕。

もともとは、貴族たちが楽しむイベントのようなものだったようで
たくさんの人々に親しまれるようになったのは江戸時代からでした。

その江戸で行われていた七夕をいち早く取り入れようとしたのは
仙台の伊達政宗公でした。

関東では笹竹をかざり姫星と彦星を祭って
手芸などの上達を願い線香をともしていましたが
仙台では飾った笹竹の小枝を落とし、物干し竿にしたり
小枝を川に流したりしていました。

お盆の準備のような行事として行われていたようです。

ですが戦争などで
どんどん衰退していってしまいました。

その後、仙台では不景気を吹き飛ばそうと
有志達が集まり七夕飾りを復活させました。
その時の仙台市民は本当に喜んでいたそうです。

ですが、再び戦争が起き七夕飾りは町から消えてしまいました。

終戦後に、戦争で焼けた跡に52本の竹飾りが飾られたことから
再び「七夕まつり」が盛り上がり始めました。

そこからだんだんと観光イベントとして進化していき
現在では東北三大祭りと呼ばれるほどの大きなお祭りとなったそうです。

戦争や経済不況で何度も開催出来なかった時期を乗り越えて
現在の「仙台七夕まつり」ができたと思うと
たくさんの人々の熱い思いが詰まったお祭りなのだと感じますね。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回ご紹介した「仙台七夕まつり」

伊達政宗が仙台に七夕を広め、それがきっかけとなり始まった仙台七夕まつり。

たくさんの歴史と人々の思いが詰まっていることを感じながら
豪華絢爛の七夕飾りを眺めてみたいですね。